働き方改革とはつまり、フェアに働くということ

リアルミーキャリアをはじめて以来、実にいろいろなご相談をいただきます。多いのが

  • 育児中で時短勤務にしているのに、結局残業や持ち帰りが発生してしまう
  • 時短勤務にした途端、雇用形態および待遇が大幅に悪化した(が、職務内容は変わらない)
  • 会社と自分の方向性に食い違いがあるが、時短勤務だと転職先が見つからない

といった内容です。どれも育児をされていない方、特に男性からしてみると「そんな不公平なことあるの!?」と思うかもしれませんが、現実では少なからずこうした扱いを受けている方がいらっしゃいます。世の中、働き方改革とはいうけれど、こうした部分の改革はあまり進んでいないように感じます。

では、なぜ上記のようなことが起こるのでしょうか?合理的に考えれば、時短勤務(1日6時間ないし7時間程度の勤務)をしたからといって、8時間フルタイムの従業員に比べて大幅に成果が落ちることはあり得ないですよね。8時間と7時間、たった1時間で大きな差がつくと本気で考えているのだとしたら、逆に9時間・10時間働けば良い仕事ができるのか?しかし現実はそんなはずがなく、世間では生産性が低いと問題になっているのです。もしも、1時間や2時間で成果に大きな差が出るのであれば、それは個人の能力の問題ではなく、会社の仕組みの問題であると捉えたほうが健全でしょう。

たとえば、

  • 夕方や夜に会議をするから、遅くまで残れない人は困る
  • 残業が前提だから時短の人は成果が低い
  • 時短の人が他にいないから、時短を正社員扱いするのは厳しい

こうした話は、いかにも個人に原因を求めているように見えますが、冷静に考えれば会社の仕組みやマネジメントの問題なのです。だから、言われた側は納得しません。どう考えてもチームワークを遅い時間に行うほうが不合理だし、残業が前提となっているのだとすれば人員配置ミスや生産性の低さが問題なのだし、他に時短の人がいないからというのは理由になっていない。「1時間や2時間短くなろうとも、生み出す成果が大幅に減るわけではない」という前提に立てば、だいたいの問題は、実は仕組みや思い込みが原因であることに気づきます。

さて、不合理な仕組みがなぜいまも残っているのかといえば、日本の古くからの労働慣行が脈々と続いているからです。だから、言われた側の人も(たとえば)人事の方を恨んではいけないかもしれない。この問題は非常に根深いのです。

  • 年功序列、終身雇用 (= 汗をかく人が偉いという考え方)
  • 知能労働よりも、労働集約型産業が中心だった時代の習慣
  • 残業を良しとする意識
  • 強すぎる解雇規制 (= 低い人材流動性)

こうした慣行は、本来は当たり前であるはずの「評価は役割と成果で行われるべき」というフェアな仕事環境を歪めてしまいます。時短で働いて成果が落ちるのであれば評価も下げる。フルタイムの人と変わらないのであれば、働く時間は短くなっても評価は一緒。本当は、ただそれだけで良いはずなのに、古くからの慣行が邪魔をしてしまう。そして、こうした慣行を変えるのにはエネルギーがかかります。もともと汗をかいて評価されていた人が、ある日急に評価されなくなる。そうしたドラスティックな変化を起こせる会社はそうありません。改革への抵抗のしわ寄せが行き着く先が、たとえば育児中の方だったり、成果を出している人だったりするわけですね。

そう考えると働き方改革は残業を減らすことだとか、ダイバーシティを推進することだとかいろいろ言われてはいますが、シンプルには「フェアに働けるようにする」ということに尽きるのです。企業が変わらないのであれば、まずは個人がフェアに働ける場所を探しましょうというのがリアルミーキャリア のコンセプトになります。アンフェアな職場からフェアな職場へ。フェアな会社がそれによって成長すれば、超長期的にはアンフェアな会社が淘汰されていく。そうすることが、少しでも企業側の変革を促すことになれば良いなと思います。

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